一度は"ぶっ壊されてみる"ことも必要...?

私は常日頃、

我が子や生徒たちに

意思を持つこと、自己表現の大切さ

を伝えています。

 

自分という人間を理解し、

自分が何を考え、どうしたいのか。

 

そして

 

自分の"価値観"をしっかり持つことは

国際人として非常に大切です😌

 

 

しかし、その

価値観

 

常に揺るぎないもの

である必要はあるでしょうか...?

 

価値観を常に貫き通す

必要はあるでしょうか...?

 

 

私は学生時代、

なんとも分厚い壁で周りから距離をおき、

自分の価値観を信じていましたが、

 

揺るがない価値観で海外へいざ出てみて、

 

自分の価値観に疑問を抱き、

訳が分からなくなった経験があります。。

 

 

いわゆる

自分の常識が覆された経験

がたくさんあります...!

 

 

細かな生活習慣から、

考え方、常識の捉え方の違い

など、多岐に渡ります。

 

その背景にあるのは、

自分が今まで生きていた

日本社会の環境や文化だったり、

自分自身のマイルールだったり。

 

 

 

例えば国によって、

 

雨水は貯めて生活用水に使う、とか、

時に飲み水になる。とか。

 

バスルームは屋外にある、とか。

お湯は出ない、とか。

 

トイレに便座や紙はない、とか。

 

食事は手づかみで食べる、とか。

 

 

考え方でいえば、

 

空気を読む習慣などない、とか。

 

話しかけなければ興味がないとして

話しかけられない、とか。

 

「Me too」ではいけない、とか。

 

愛想笑いやごまかし笑いは失礼、とか。

 

 

挙げだせばキリがありませんが、

 

自分の常識・意思を貫き通すことが

真の強さだと勘違いしていた私は、

 

『その考え方、本当に大切...?』

 

と、信じていたことに疑問を抱くどころか、

時に否定された気持ちになり、

自分を見直さずにはいられなくなった経験

たくさんあります。。

 

 

これは海外へ行く時だけでなく、

日本社会においてもそうだと今は思いますが、

 

人間の価値観は

変わることはあるし、むしろ

 

多種多様な人たちと出会い、

考え方、常識、価値観は

その度に"壊される"ことは必要で、

その都度また、

自分と向き合いながら

形成していけばいい

のだと思います!

 

 

「こうじゃない選択肢もある」

 

「そうである必要はないのではないか」

 

と、ひとつひとつ

物事の定義を考え直す

ことはとても大切なのです...!😌☝️

 

 

日本にいても、海外へ行っても、

柔軟な心を持って、多種多様な人々と

コミュニケーションができる国際人

を育てていきたい、そして自身も

そうありたいと思っています✨️

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