察してほしい。

私は、
初めての海外ホームステイ
そしてワーホリ時代、

とことん自分の弱さに向き合うことになり、
それまで低かった自己肯定感が更に低くなり
自信というものが微塵に散った経験があります。

 

 

元々狭いコミュニティと視野の中で
生きてきた私は、
日本社会の中でも更に限られた
自己流の常識と価値観で

行動力だけを取り柄に
海外へ踏み出したのですが...

海外では
英語は読めても書けても
ほとんどまともに
聞き取れない、話せない自分に
すっかり自信をなくし、

日本人のコミュニティを見つけては
"日本人"特有の

『言わなくても分かる』

空気感に安心感を抱いていました。。

同じ常識。

同じ価値観。

不安や心配、悲しみは

『察してもらえる』安心感。

 

けれど、
ホームステイ、ファームステイ生活で
現地の家族と生活をして感じたのが...

孤独感。。

別に何かされたわけでなく、

嫌なことを言われたわけでもない。

ただ、なんとなく

放っておかれた感。

それは
日本で言う、、

『気を遣ってくれない』感。

今考えれば、
なんて自意識過剰でワガママだったのだろうと
自分が恥ずかしくなりますが、

当時は

「しんどい気持ちを察してほしい」

「気を遣ってほしい」

なんて思っていたんです。

「海外の人はなんて冷たいんだろう」  

とさえ思っていました。

 

 

しかし
1年オーストラリアに滞在し、
様々な現地の家庭やバックパッカー生活で
私のつまらない常識は砕かれ、
学んだのは...

 

『日本は"察する"文化』
『海外は"発する"文化』

だということ!

空気を読むのが得意な日本人。
自己表現が得意な外国人。

日本人が悪いということではありません。
日本人の持つ繊細さや気配り、
言わなくても分かる、人を思いやる優しさは
世界的にも高く評価されています。

ただ、

それを"常識"としてしまうと、

グローバル社会で多様な人々と
生きていこうとすると

つまずいてしまいます。

 

嫌なら「嫌」

出来ないなら「出来ない」

辛いなら「辛い」

助けてほしいなら「助けてほしい」

言葉にして、
きちんと気持ちを『発する』ことをしなければ
相手は理解できないんです。

言わなくても分かる信頼関係は素敵ですが、

家族や親友でもない限り
それを相手に求めるのは
自分勝手なエゴだということを

私は海外生活で身に染みて感じました。

「自分の常識は
 他人の非常識
 なのかもしれない」

 

 

視野を広く、

異なる価値観を受け入れてこそ、

日本・世界問わず
多様性の時代で生きていけるのだと
思っています。

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