英語なんて"恵まれた人がやるもの"だと思ってました。

私が英語に出会い、学びはじめたのは
中学生の時の学校英語。

思春期ど真ん中で親が離婚。
荒れた家庭環境で貧しい中、
家に自分の居場所はなく
自己肯定感など皆無で
周り全てが自分とは違って見えた当時。

 

 

現実からとにかく逃げ出したい、
自分が自分でいられる居場所がほしい、
自分を好きになってみたい、

と切実に思っていた時に、
自分のいる日本とは違う
全く別世界があるのかもしれない...。

そう思ったのが

『英語』でした。

最初は別に英語じゃなくても
きっとよかったんです。

現実世界から逃げれるなら
何でもよかった。

でも、なんとなく...

なんとなく、英語は
腐っていた当時13歳の私を
少しだけ現実逃避させてくれたんです。

 

もっと英語やってみたいな。

海外行ってみたいな。

そう思いましたが、
ネットもない時代。

塾も行ったことがなく、
英語教室なんて行く余裕もない。。

奨学金のおかげもあり高校に入り、
ますます英語への興味関心は増しましたが、
高校卒業後は、奨学金で当然のように
国立大学の教育学部へ。

周りの友人たちが私立の外大や
外国語学部などへ進学、
キラキラした海外留学をする話などを
聞けば聞くほど、

やっぱり

英語は
"恵まれた人がやるもの"

 

だと思っていました。

 

自分みたいな貧しい人間には
とうてい憧れでしかなく、
思い描くような
流暢に英語を話せる人間、
海外で楽しく生活できるような人間には
私は一生なれないのだと

そう思って
心底ひねくれていました。。

確かに、当時は
学ぶ媒体も情報も少なく、
家庭の経済力は大きかったと思います。

けれど、

今振り返って思うのは、

ただ言い訳して
逃げていただけ。

 

本気でやろうと思えば
英語力を伸ばそうと思えば、
当時でもいくらだって
やり方はあったはず。

周りのせいにして、
言い訳して、
楽な方に逃げていただけ、
なのだと今は思います。

一生懸命お金を貯めて、
ようやくはじめて海外へ行ってみて
自分の英語力のなさに絶望したけれど、

同時に
自分の悩みの小ささに気付き、
周りの人間を
その人の環境でしか見てなかった、
判断してなかったことに気づきました。

 

海外で出会う世界中の人たちは
本当にあったかくて、
人間の価値はお金じゃないんだと
当たり前なことにはじめて気づけたんです。

 

そして世界中には
何10億人という人がいて、

私が昨年行ったフィリピンでは
私の経験なんかより何倍も何十倍も
過酷な環境で暮らしている人たちが
大勢います。

学校に行けなくても
働く、時には物ごいをするツールとしてまで
生きるために英語をなんとか身につける
人たちが大勢います。

私は誰よりも不幸だと
勝手に思い上がって
悲劇のヒロインを気取っていましたが、

私は恵まれていたのに
不平不満を並べて
ただ努力から逃げていたのだと
頭を打たれたような衝撃を受けました。

 

今は、改めて
英語との出会いを思い返し、
英語の自分の人生への影響を考えると、

それは

『救い』

だったのだとはっきり思います。

腐りきっていた若い私に

世の中は広いと
教えてくれたもの。

 

人生は捨てたもんじゃないと
教えてくれたもの。

 

まだまだ当時思い描いていた
理想とする英語スピーカーには
なれていないけれど、

英語は確実に
私の人生を変えてくれたのだから、

それだけで、
私の人生は最高なんじゃないかと、

今は思えます。

 

 

そんな素敵な英語で
誰かの人生に
少しでも幸せな変化を与えれたら...✨️

という思いで
日々レッスンをしている私です...😊

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です